キャッシュレスの時代だからこそ、知っておきたいお札事情。
1万円札に写っている人物の名前はご存知ですか?
そう、かの有名な福沢諭吉です。
では、近い未来、 デザインを新たにしお札の表面に描かれる人物も変更することはご存知でしょうか?
2019年4月5日、政府は2024年度の上半期をめどに、千円札、5千円札、1万円札の新紙幣を発行することを発表しました。
1万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に。
1万円札の図柄変更は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来となるほど大きな意思決定です。
しかしなぜ渋沢栄一になるのか疑問に思う人もいるかもしれません。
渋沢栄一は日本の資本主義の父とされ、立派な功績を残しているにも関わらず、同じく幕末から維新の時代に生きた坂本龍馬や西郷隆盛に比べると、そこまで知られていないのが現状でしょう。
それはなぜなのでしょうか。
この記事ではそんな偉大な渋沢栄一について解説します。
渋沢栄一とは
渋沢栄一の基本情報は以下のようなものです。
- 1840年に生まれ、1931年に91歳で亡くなった実業家
- 生まれたのは江戸時代で、明治・大正から昭和初期まで、長期にわたり活躍
- 埼玉県深谷市の農家に生まれる
- 農業の暇をみて、漢学者の塾や北辰一刀流の道場で知見を深める
- のちに徳川慶喜に仕える
- 第一国立銀行(今のみずほ銀行)の総監役になる
生まれた環境を言い訳にせず自ら学び、世のため人のために活動した渋沢。
約500の企業の設立・育成に関与し、教育機関や社会公共事業も積極的に支援し、生涯を通して約600の団体を支援したと言われる圧倒的な実績の持ち主です。
歴史にみる渋沢らしさとは
圧倒的な実績があるにも関わらず、それらが表にあまり出ていないところに渋沢らしさを伺うことができます。
そこには以下のような理由があげられます。
- 自分の名前を押し出すことに執心しなかった
- 成し遂げた事績の数が、あまりにも多すぎた
- 「渋沢といえばこれ!」という風に一言では語れない
何よりも関係した企業の数だけで500もあるため、後世の人にとったら、焦点が定まらない存在になっていることでしょう。
教科書には「日本で最初に銀行を設立した人」と説明されますが、渋沢の功績はそれだけには収まりません。
そして他の偉人とは異なるもっとも重要なのは、大きな会社をたくさん作ったのに、自らの財閥を形成しなかったという点です。
渋沢が設立・育成した企業は今も多く存在しますが、「渋沢」という名前を掲げているところはほとんどなく、子孫が経営を引き継いでいるところもありません。
これこそが認知度の低さの理由の1つで、渋沢の人柄をよく表しているといえます。
渋沢が次々と会社を設立したのは、世の中を豊かにするという純粋な気持ちからだけでした。
自分の利益を追求し、自らの家系を繁栄させたいという想いはなかったのです。
王子製紙
たくさんの実績がある渋沢ですが、そのうちの大きな功績として日本最大の製紙会社を作ったというのがあります。
明治維新後に政府が行なっていた殖産興業において、渋沢は人々の知識を高める書籍や新聞などの印刷物の普及が必要で、そのために安価で大量印刷が可能な洋紙製造をすべきと考えました。
そして1873年統合した組織の洋紙製造会社として抄紙会社を設立し、時代を経て1893年に王子製紙と名前を変え、日本最大の製紙会社として発展しました。
最後に
渋沢栄一について述べてきましたがいかがでしたでしょうか。
製紙の原点ともいえる渋沢栄一。
1万千札の顔になるのも頷けそうですね。
長くから続く紙の歴史を支える渋沢栄一。
ぜひ渋沢栄一についてさらに勉強してみてくださいね。