紙のコラム

紙のコラム:溶ける紙に託す想い

精霊流し

もう少しで、灯篭流しの季節です。
昔は、川べりでやっても、海で行っても、灯篭はろうそくがとぼれるまで現世とあの世を結び付けてくれていました。お盆に帰ってきた仏さまがまた、今いるべき場所に帰っていく。「元気でね」「またね」「家族を守ってね」「ありがとうね」様々な思いが灯篭に込められていました。そして、ろうそくのとぼれた灯篭は、おのおのが着くべき場所にたどり着いて、水の中に沈み自然に帰りました。
昔だからですね、自然に還る自然由来のものでしか作られていませんでしたからね。

いつからでしょう。うちの灯篭は違うぞ!と言わんばかりの目立つものを作り始めたのは。自然由来ではないですから、流れ着いた先で「ゴミ」になります。それを見越して、どこまでも遠く遠く流されるはずの灯篭が、ある程度の地点で、回収されるようになったのは。
私の住まう地方では、法要をして流して、5分くらいかしら。距離にして100mくらいのところに引き上げ隊のおじさん方がいます。流す先に、もう見えるのです、ライトアップされているから。流したはずの仏さまが歩いて帰ってきちゃうわと、内心思っているのは私だけではないはずです。

川と言っても、国交省が管理している等級のある河川以外は、人工の川ですね。護岸工事されて、底にもコンクリートがめぐらされて、土ではない。それは川ではなくただの水路になりましたね。

私が幼いころ、家の中でトラブルが起こったり、医者にかかっても病気がなかなか治らなかったりしたときは、和紙で人形(ひとがた)を作りました。その人形と小さなおにぎり(問題の内容によって数が微妙に違う)を、近くの川に持って行って流す。

もちろん、昔ですから、川の地面は土であって、藻も生えていたりします。今のように、化学製品の洗剤もそれほど混ざってはおらず、子供達も夏の放課後に川に入って、魚釣りしたり、追いかけごっこしたり。女子は、川に足を浸して、恋話をひそひそ話をしたり。

人形は、そんな子供たちがいなくなった夕方に流します。正確には「まわしてきます」。この言葉は、たぶん「輪廻」から来たのではないかと思います。その家で、一番小さい者が、ざら紙を船に仕立てたものの上に人形とおにぎりを置いて、川に置きます。しばし手を合わせてから、踵を返すと、絶対振り向かないで家まで帰ります。
そんなことを、やはり内容によって決まった日にちの間続けます。
不思議なことに、それをすると良くなるのです。

今は、そんな小川でも、コンクリートの底になり、おにぎりでさえも不法投棄の対象になります。流せる川はもう近くにはありません…遠くの川でもやってはいけません。

灯篭流し。せめてメッセージを書いた紙だけでも、短時間で水に溶けて、川や海に自然で安心できるように、流れ込んで、遠くまで行ってほしいなと思っています。
だって、引き上げ隊の方々に読まれたくない思いを書いたりもしていますもの。願いを書いていますもの。
せめて溶ける紙で、溶けて、遠くに帰っていくあの人に伝われと思いますもの。

引き上げ隊のいるほんの100m先までの間に溶けてくれる。川の水に浸み込んでくれる。それは環境に優しい。
そしたら、躊躇なく、私も灯篭流しに参加したいなと思います。

家族と言う仏さまには、毎日仏壇で手を合わせることで、思いを伝えることができます。時には、お墓まで行って直談判もできます(よゐこはしてはいけませぬ)。
長く生きていると、家族ではないけど、とても大切な人を見送らなければならないことが増えてきます。さよならを言えずにお別れしなければならないことも多いです。
だから、水に託せる紙に綴るのです。

「いつまでも、あなたを、愛しています」。