昔、冷凍庫は、冷蔵庫の上にあった。そして「the・ツードア冷蔵庫」の登場。
「しめしめ、アイスを多く買っても、冷凍庫が別だと、入れるスペースがある」。浅はかな子供たちは考えたものだ。しかし、お小遣いを貯めて、せっかく2個、明日の分も買ってきたというのに、一杯ひっかけて帰ってきたお父さんの夜中のおやつとして食べられてしまう。抗議をすると「誰の稼ぎから、小遣いが出ていると思うのだ!」で、敗北。
冷蔵庫の中に、氷をちょっと作るだけの小さな冷凍庫しかない時代は、買った場所で食べなければならない、アイスキャンディ屋さんが来ていた。それと、令和の今に食べる滑らかなアイスクリームと違って、今考えればそれが「バニラビーンズ」だったのだろうけど、舌の上に異物が乗っかるアイスクリン屋さんも来ていた。
炎天下の中でアイスを冷凍庫から出して食べられる幸せ。それよりも、真冬の寒い時期にエアコンガンガン炊いてアイスを食べられる幸せは、本当に、まだ半世紀は経っていない文明の恩恵だったりもするのだ。
冷凍庫が上にあった時は、本当に便利だったなあ。タッパーを重ねて、庫内をきちんと整理することもできたし。目視でなにが入っているのかチェックして、料理の途中でINすることもできたし。ある意味、文明の進化はツードアで止まってしまってよかったのかもしれないなとしみじみ思う。
まず、腰に負担を書けないで、重い野菜を入れる野菜室の存在で、スリードアが出来た。果たして、そこが、本当に野菜室だったかと言えば、とりあえず放り込むスタンスの冷蔵庫って場所だった。野菜はそんなに入ってなくって、少なくともアイス以外のいろんなものが入っていた。って、スリードアが出現した時代、まだ野菜を冷蔵庫保存という観念はなく~それは今でもだけれど。常温保存というか、新鮮なうちに食べてしまおうと、台所の目のつきやすいところに置いていたし。
そうそう、中間にパーシャル室とかあって、お刺身とかをラップかけないでストックしておいて、適温で食べられる機能もあったなあ~。その時代は冷蔵庫買い替えてないからわからないけど。
ところがだ。震災の急な停電で、冷蔵庫が逝ってしまった。まだまだ使えたのになあ。急な停電は2回来たから、負荷に耐えられなかったのだろう。
当然、上部に冷凍庫のある冷蔵庫を買いに行ったのだけれども、あの野菜室が冷凍庫に場所チェンジした(野菜室は真ん中=パーシャルがあった場所)ものしかない。しょうがない。時代の流れにはついて行かなければ。
しかし、我が家にやってきたのは、毎年GW直前に、まったく稼働をやめてしまう故障しがちな冷蔵庫だった。毎年毎年、3年間メーカーさんが来て修理をしてくれる。
はたと思った。メーカー修理期間が終了して、販売店で入った修理期間が終了したら、この修理って有料になるのでは…。4年目に冷蔵庫をチェンジしてもらった。
だが、チェンジの際に気が付いた。下になった冷凍庫は、以前の野菜室と同じなのだ。底に行けば行くほど、これはいつ冷凍したのだっけと、冷凍焼のひどいものが出てきた。それから、ケーキについてくる小さな保冷剤も隙間ごとにいて、場所を取っている。
我が家では台所に太字の油性マジックをおいているのだが、ジッパーに日付を書いても、ツルツルし過ぎて、冷凍の最中に薄れて消えていくのだ。タッパーの蓋に書いても同じ。
それからもう一つ。冷凍してお裾分けをするときに、かすれたマジックでは正直味気ないのだ。
唐突だが。冷凍しても「冷凍食品用ラベル」だと消えない。ついでに言えば、イラストというかなんか可愛いものも書けるし、お裾分けの時に、胸を張って持っていける。
それ以上に、たぶん我が家の冷凍庫には、平成の産物が奥深く眠っているはずだ。真夏になる前に、それをすっきり処分して、令和の冷凍食品用ラベルに書き直す。そして、ごちゃごちゃにならないようにキレイに収納すること。
これが、スリードアにした我が家の今のところのミッションだ。
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コラムを読んで冷凍食品用ラベルが気になった方はこちらをご覧ください↓
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