高校の文化祭は、9月だった。夏休みになる前にその告知ポスターのデザインを決めて、発注し、2学期が始まったと同時に市内各所に貼らせてもらう。それが例年だった。私たちの学年の時、美術教師の「なりハゲ」が「俺に任せておけ」と言う。予算は充分にあったのだから、まあまあ「なりハゲ」がデザイン考えて勝手に印刷屋さん呼ぶのだと放っておいた。
しかし、二学期が始まった時に渡されたポスターは、50枚すべて手書きだった。原色をアカデミックに塗りたくった、アートと言える逸品だった。ただ、それが、田舎の女子高のポスターにふさわしいかというと…ポスターカラーを使って、微妙に違う。ただ、「なりハゲ」が夏休みいっぱいかけて作成。私たちのためにがんばってくれたのだ(いや、自分の芸術を表に出したかったのか)…枚数的には正直、例年だと100枚なので、足りない。さらに雨が降ったら、ポスターカラーが流れ落ちる危険性もある。
オーマイガット!。
例年なら貼らせてくれるというところには無造作にお願いしてきた。しかし、今年は半数。より効果的にPRのできる「貼る場所」を吟味しなければならない。できれば、雨のかからないお店のウィンドー。人通りがあって、人目につくところ。私たちは、地図を広げて、お願いするところを研究した。そして、毎年なら保存用に1枚生徒会室に残すのだが、ギリギリだから、全部貼った。
私たちが「なりハゲ」の自己満足だと思っていたデザインは、街のいたるところで、ものすごく目立った。1回印刷にかけると、色がワントーン落ちてしまうのだけれど、ポスターカラーのそのものの色がとても引き立った。
文化祭には、例年以上に見に来てくれる人が多かった。
まだ、スマホも、ましてやガラケーもない昭和の時代。今思うと、写真の1枚くらい残して置けばよかったと思うのだが、小娘たちにそのような発想をする者はいなかった。ただ、永久に私たちの記憶に深く刻まれているだけ、だ。
それから、20年の時間が経って、わが校同窓会鉄の掟、同窓会の当番幹事をする年が巡ってきた。このポスターも、例年、校章と校花の白梅をメインにして、やはり同窓生である印刷屋を営む先輩に丸投げするのだが…幹事の中に「なりハゲ」の教え子がいた。彼女にデザインを頼むことにした。「あのころの私に会える」のキャッチコピーに、三つ編み:おさげの女子高生が夏服でほほ笑むというデザインができあがった。校章はというと、夏服のブラウスに、印刷が上がってから一枚一枚校章シールを貼ることにした。
光沢のあるポスター用紙ではなく、桃色のカラー鳥の子(色画用紙とも言う)を選んだ。
さすが、あの恩師にして、この娘あり。
紙代が安く済んだので、多めに刷ってもらって、市の東京出張所まで貼ってもらった。
その同窓会も、午後から行われた同期会も、例年にない出席者の数で、同窓会長にいたく褒めていただいた。
だけど。学校に残さ、保存されるのは、文化祭のポスターにしても、同窓会のポスターにしても、ちゃんとした紙でなければならない。文化祭ポスターは学校の歴史として、同窓会ポスターは、毎年の会場を飾るものであり、壊れず破れず、何回鋲を打っても大丈夫なものだけしか残らない。
「なりハゲ」のポスターは、在庫を残さずに貼ってしまったから、しかたないところはある。けれど、2001年度の同窓会ポスターが、毎年8月の会場を彩ることはない。
どちらも最高の出来だったのよ。ただ、紙には耐久性が必要とされて、それを破ったものは、例え数年は保存されても、じきにおのずから破れていく。風化していく。黄ばんでもいく。
だから、心に残しておきたいポスターは、残ることがないのね。
ちょっと寂しいけれど、それがわが母校の現実。
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