ご愛用様さま

ご愛用者さまに聞きました:写真家 中井川俊洋さま

中井川俊洋さま

こんにちは、松本洋紙店スタッフです。
多業種にわたる松本洋紙店ご愛用者さまから、今回は
写真家 中井川俊洋さまにご協力をいただきお話をお聞きしました。
当店の写真用紙もお使いいただいています。

1985年からずっと、フライデーや女性セブンなど、芸能スクープを中心にご活躍。
学生時代から追っていた日立鉱山閉山とその40年後までをまとめた写真展を2023年、開かれました。

また令和5年度ジャグラ作品展におきまして、中井川さまの写真集「日立鉱山に生きた人々「閉山」とその後、そして現在」を出版した日立高速印刷株式会社さまが出版印刷物部門「経済産業大臣賞」を受賞されました!

貴重な作品を5点、掲載させていただきました。
ぜひご一読くださいませ。

Q:プロフィールをお教えください

【略歴】
茨城県日立市出身
高校時代、写真部に所属
ドキュメンタリー写真について恩師からたっぷり学ぶ

日本大学芸術学部へ進み、ドキュメンタリー写真を専攻
卒業制作で日立鉱山閉山を撮影
1984年「閉山」日立鉱山に生きた人々(国書刊行会)出版
閉山後も3年にわたり元鉱員のその後を追いかけ、展覧会開催

1985年~2005年 雑誌「フライデー」カメラマン
その後「フラッシュ」に数年
現在は「女性セブン」をメインに芸能スクープを中心に活動

記録写真家としても活動
学芸員を志す学生に記録写真を教えている

日立鉱山のネガを40年経って改めてデジタル化
2023年「日立鉱山に生きた人々ー写真家・中井川俊洋がとらえた『閉山』とその後、そして現在」を開催、写真集発行

Q:日立鉱山閉山を卒業制作にされたんですね

大学4年の春、日立鉱山の閉山が決まったんです。それまでも何度か取材に行っていたのもあって、これは撮影しておきたいと思いました。とは言えなかなかそれを正式に申し込むことができなくて。それがその夏、山神祭というお祭りの際に思い切って声をかけたんです。そしたら、撮りなよと言う反応で、あれよあれよと話を通してくれて。設備、坑内と惜しみなく撮らせてくれました。そんな中、ついでに記録写真として撮ってくれないかという申し出もあり、閉山に伴う宴会や旅行、細かいイベントも全て出席して撮影してたんです。

鉱山には一山一家と言う言葉があります。そのヤマで働く人々全てが家族であるという考えです。その分、部外者はなかなか入りにくい。ただ、逆に入ってしまえば完全に受け入れてくれて、とにかくとても話が早く、動きやすかったです。

9月末に閉山してからもしばらくの間、撤収作業が続きました。そして、仕事がなくなる。違う職につく人、他の鉱山に移る人、就職せずバイトしながら3年かけてその後を追いました。ザイールにまで足を伸ばしたりもしたんです。

Q:今回の展覧会について教えてください

カメラマンとして長く仕事をしていて溜まったネガをデジタル化していたんです。日立鉱山のものもスキャンしていたら、当時印画紙にプリントしても出なかったディテールが撮れていたのに驚きました。これはまた新たに発表しなくてはという気持ちに繋がりました。

ちょうど実家に音楽スタジオ兼ギャラリーを作っていてそこにいくつか写真を飾っていたら、この写真に写っているのは40年前の僕ですと遊びに来てくれた人がいたんです。そんなこともあって、日立鉱山で働いていた人たちを訪ねることにしました。閉山当時もお世話になった大町さん(スタッフ注:5番目の作品の方です)に頼んで40年ぶりの再会。みんなあのとき撮影していた自分を覚えていてくれて。ポートレートも要望をいただいて皆さんの分、撮りました。展覧会では昔のことを懐かしんだり涙を流す人もいて、100点以上ありましたので見ごたえのあるものになったと思います。

大学生だった当時、フィルムカメラで撮影していたわけですが、その当時はお金もないし、たくさん撮ったと言っても36枚撮りのフィルムがせいぜい100本、つまり3,600枚。今は1回の撮影で3,000枚くらいすぐに撮ってしまう。きっと撮るべきものをたくさん逃していると思うんです。フィルム交換の間や休んでいるとき、その当時の自分の隣に行って言いたい。休んでいる場合じゃない、と。また、最初に開いた展覧会のときに選ばなかったネガのほうが良かったと気づくことも多々あります。そう考えると、今の人はデジカメやiPhoneで気軽に撮って気軽にこれいらないと消しますが、いらないと思ったのは今の自分で将来進歩した自分はどう思うかわからない、そんなことも考えたりします。

Q:ドキュメンタリーとは何だと思われますか

学生に教える際にも言うのですが、例えばアスファルトの隙間から芽を出す小さな花を人の目線で撮影するとします。じゃあ今度、花の目線で撮ってみる。翌日、あの花はどうしてるかな、と見に行く。その後も気にかけ、撮影を続ける。それがドキュメンタリーだと思うのです。

ドキュメンタリーもスクープも、目の前にあるものを記録します。ポートレートやものを撮る場合と違い、演出しません。そこが共通するところです。被写体と見る人の間に自分がいるわけですが、その自分がいかに透明になれるか。自らの考えや思いを取り去り、その場の状況を写し取る。土門拳の言葉にありますが、良い写真とは「写した」のではなく「写った」のである、それを意識しています。

そのため、機材やレンズは突き詰めてこだわっています。記録写真を撮るとなると、学生は普通のカメラで普通に収蔵作品の写真を撮ります。じゃあ、同じレンズで方眼紙を撮ってごらん、と言うと歪むわけです。つまり、今撮った収蔵作品は実は歪んで撮れている。それでは記録写真とは言えません。目の前のものを正確に写し取る技術、機材はとても大切です。

作品5点、掲載させていただきました

1981-9-17 入坑

日立鉱山閉山を控え、最後の入坑時のエレベーター。フィルムカメラで、ストロボも何もなく撮影していました。その当時のネガをデジタル化したものです。

佳子さま

偶然、娘の通っているスケートリンクでお見かけし、撮影しました。今まで、こういう偶然はたくさんありました。大人の事情で話すわけには行きませんが。。。笑

たてもん祭り(富山)

ユネスコ文化遺産に登録するために文化庁から依頼され、記録としての撮影をしました。通常お祭りと言えば本番がメインです。でも、実は準備に長い時間がかかっています。様々なものを長老から若者に受け継いで行く。お祭りが終わっても膨大な後片付けがあります。とても地味で面倒なことがたくさんあって、それ全てが祭りです。全部見ないとわからないことがたくさんあります。

レモンの花の蜜を吸いに来たハチ

玄関先に植えているレモンの木に来たハチを撮りました。屋上などで野菜を作ったりもしていますが、たくさんの虫が来ます。駆除する前に撮影したりもしています。

大町義弘氏

日立鉱山労働組合の委員長だった方です。学生時代も、また、40年経ってからの鉱員の方々との再会をアレンジしていただくときにもお世話になりました。大町さん以外にも、再会した方々のポートレートを撮らせていただきました。心からのリスペクトを込めて礼を尽くしたいと、ネクタイを締め、一番良い機材を揃えて撮影しています。

Q:お使いの機材をお教えください

機材は主に、

カメラ  :α1、α7sⅢ、α7RⅣ、Panasonic S1

レンズ  :SONY FE 200-600mm、70-200、SIGMA 135mm F1.8

プリンター:Canon PRO-1000

Q:今後についてお聞かせください

実はフルートもしてまして、実家のあたりに音楽スタジオを作っています。仲間内で練習したり発表会もできますし、また料理もするのでたまに作って振る舞っています。地元のフランス料理屋さんに場所を貸す計画もあったりします。

写真については、今後も人を撮り続けると思います。人を撮るのはとても難しい。でも、面白い。向き合うのはしんどいことですが、そこから逃げちゃいけないと思っています。

松本洋紙店スタッフより

スクープ写真を撮る方とお話しする機会に恵まれるとは思ってもみませんでした。今までに知らずして中井川さまの写真をたくさんみていたことでしょう。ただ、意識して最初に観た作品はこちらで紹介させていただいた日立鉱山閉山のエレベーターでした。背景を何も知らずこの写真を観たとき、モノクロで華やかな場面でもないのにも関わらず、なんとも言えずドラマチックで、心に来るものがありました。その後、背景を知り、更に学生時代から40年経っての鉱員の方々との再会まで含めて、ドキュメンタリーなのにまるで映画、そもそも中井川さまの人生が映画のようだと思いました。

お話の最後にフルートを吹かれること、お料理もされることを伺い、映画のような作品、映画のような人生が少し、腑に落ちた気がします。透明になって写し取るにしても、五感をフルに開いていないと受け止めることができないように思うこと。そして、正直人と向き合うのは写真家でなくてもしんどいし苦しい。そこも、写真以外の分野で心震わせてらっしゃるからこそ、長く、ずっと、向き合っていることが可能なのではないか、なんとなくそんな風に感じています。

ちなみに中井川さまご愛用の写真用紙、よろしければこちらからご覧ください。
フォトコンテストに使える写真用紙のページはこちら